2011年6月30日木曜日

荒野へ


2007年公開『イントゥ・ザ・ワイルド』のサウンドトラック。
Pearl Jamのエディ・ヴェダーが音楽を担当。
全編に流れるエディの歌がとても印象的。

「Guaranteed」
出会う人は誰もが檻の中で生きている
彼らはさすらう俺を理解できない
憤りを感じるけど それは俺の素直な気持ち
俺は生きている

ジョン・クラカワーの原作「荒野へ」は読んでいたが、
映画は原作のイメージとまったく違っていた。
悪い意味じゃなく、原作を監督のショーン・ペンがうまく消化し、
ショーン・ペン印の映画にできたからかもしれない。
なかなかいい映画だった。
もし70年代に公開されていたら、ニューシネマの名作としていまも語られていたかも。
劇中にこんな台詞があった。

もし生き方が理性に支配されるなら、
人生の可能性は打ち砕かれる

(お楽しみはこれからだ的な台詞はメモしないとね)

2011年6月29日水曜日

月に吠える


Howlin' Wolfの『Moanin' In The Moonlight』。1959年リリース。
1曲目の「Moanin' At Midnight」から吠えまくってる。

Well, somebody knocking on my door
Well, somebody knocking on my door
Well, I'm so worried, don't know where to go
Well, somebody calling me, calling on my telephone
Well, somebody calling me, over my telephone
Well, keep on calling, tell them I'm not at home
Well, don't not worry, Daddy's gone to bed

朝起きると、つらい仕事が待っている。
節電メトロで汗にまみれ。
仕事はうまくいかない。
やっても、やっても、終わらない。
今夜もお前の約束守れない。
お前を抱けずに、意味なく立つ。

お前が寝る頃、冷えたビールにありつけた。
枝豆、唐揚げ、冷や奴。
凍ったジョッキに喉が鳴る。
やっと、やっと、冷えたビール。
今夜はお前なんかいらない。
これさえあればと、月に吠える。

無風の新宿一丁目のブルース。
月に吠える。

無風の新宿一丁目のブルース。
月に吠える。

ちゃんちゃん。。

ま、現在の東京に置き換えるとこんな感じだろうな。

2011年6月28日火曜日

ジャズでもなく、ロックでもなく、マイルス!


マイルス、69年の傑作!『Bitches Brew』。

もやもや蒸し暑い1日の終わりはマイルスで。
爆弾のような音楽。
ジャズでもなく、ロックでもなく、
すべてを包括し、すべてを解放する音楽。

抑制された衝動を肯定したい。
作品づくりは、そこから始めないと嘘になる。
イドを解放しなきゃダメだ。

2011年6月27日月曜日

電光石火に銀の靴


1977年リリース、泉谷しげるとダイナマイト・ポップスの『光石の巨人』。

「電光石火に銀の靴」
君を君をとじこめる奴の気が知れないぜ
君を君をとじこめる奴は君に気づかない
火の中をかける 君こそステキさ
嵐に花を咲かす君がイイ、イイ、イイ

電光石火に銀の靴
これが君へのプレゼント
電光石火に銀の靴
これが君へのプレゼント

サイクルの耳かざりと
シルバーのサングラスと
ピンクのシャドウと
ブルーのドレスが君らしい

君を君をとじこめる奴の気が知れないぜ
君を君をとじこめる奴は君に気づかない
イナズマにキスをする君こそステキさ
シャウトの夜をドライブする君がイイ、イイ、イイ、イイ

電光石火に銀の靴
これが君へのプレゼント
電光石火に銀の靴
これが君へのプレゼント


近々、こいつを走らせる。

2011年6月26日日曜日

風になりたい


1976年にフォーライフからデビューした川村ゆうこの「風になりたい」。
作詞、作曲、プロデュースは吉田拓郎 。

通り過ぎる あなたが風なら 
私も今すぐ 風になりたい

日曜日の朝。
世界が何か不穏なものを孕んでいるかのように静かだ。
さっきまで鳴いていた鳥はどこかへ行ったのだろうか。
夜と朝の境目の儚い空の色は雲に覆われ、風は止み大気は澱んでいる。
それでも世界の終わりのような空じゃない。

今日はリリーが訪ねてくるだろう。
そう、この場所にね。
1人目のゲスト。

リリーはこの「風になりたい」を知っているだろうか。
知らなかったら教えてあげよう。
この曲をカバーしている中ノ森BANDのバージョンもなかなかいい。

白い雨が 街中濡らして もうすぐ朝です 少し寒い
長い髪を伝わる雫が 頬をかすめて 手のひらに落ちた
抱きしめられても あなたをつかめない
覚えているのは 煙草の煙と 私を離した時の すきま風

通り過ぎる あなたが風なら 私も今すぐ 風になりたい
どうぞ誰か 私のからだを 包んで下さい ひとりはきらい

傘を棄てて かくしてほしい 冷えた心を あなたにあげます
やさしくされたら ゆれてしまいそう 追いかけたくても ひとりで残ります
悲しむことより 思い出作りに 私は今でも 時を送りたい

通り過ぎる あなたが風なら 私も今すぐ 風になりたい
通り過ぎる あなたが風なら 私も今すぐ 風になりたい
私も今すぐ 風になりたい

2011年6月23日木曜日

"Don't worry about a thing, 'Cause every little thing gonna be all right"


1977年リリース、Bob Marley & The Wailers『Exodus』から「Three Little Birds」。

"Don't worry about a thing,
'Cause every little thing gonna be all right"

心配しないで どんな小さなことだって すべてうまくいくさ

夏至の東京は初夏日。
気温は30℃を越えたってことだね。暑いはずだよ。
夜になってパラパラとにわか雨。駅から濡れて歩いたけど気持ちよかった。
東北地方も梅雨入り。これからの蒸し暑い日々が心配だ。

今日、岩手の避難所にいる叔母から笹かまぼこが届いた。
家を流され避難所生活をしているというのに、
少しばかり送ったお見舞金のお礼だという。
義理堅いにも程があるよ、まったく。
有難く、有難く、いただきます。

これから、俺にできること。
少しずつでも前に進めていきたいと思う。

2011年6月21日火曜日

夜に叫ぶ


『明日なき暴走』1975年リリース、ブルース・スプリングスティーンの3rdアルバム。
ジャケットのカッコ良さったら、もう。ジャケがすべてを語っていた。
画像はジャケット裏面。スプリングスティーンの相棒ビッグマンことクラレンス・クレモンズ。

『明日なき暴走』から「Night/夜に叫ぶ」の一節。

毎朝ベルの音で目を覚まし
仕事に遅れ 上司にきつく叱られ
深夜走り出すまで 愛車のことを想い 心を閉ざす
家に鍵かけ 灯りを消して 夜に踏み出すと やっと気分がよくなってくる
世界は夜の裂け目から破裂しそうだ
生きるために一日中働き 夢は囚われたまま
だが 今夜 すべてを吹き飛ばしてやる


朝刊に、Eストリート・バンドのクラレンス・クレモンズが亡くなったとの記事が。

ブルース・スプリングスティーンを初めて聴いたのは10代中頃。
FMから流れてきた「明日なき暴走」を聴き、翌日レコード屋に駆け込んだ。

動くスプリングスティーンを見たのはまだ70年代だったか。
「ロザリータ」と「リバー」だったと思う。
当時、スプリングスティーンのライブは半端じゃないという噂が流布していて、
何が半端じゃないのか実態がよくわからないまま、
「半端じゃねえよ」とか友人といい合っていた。
確かに「ロザリータ」でステージを駆まわるスプリングスティーンと
クレモンズとの掛合いは鮮烈で、見たことないステージアクションが
半端じゃなかった。

クレモンズはスプリングスティーンと出会ったときのことを、
「俺たちは恋に落ちた」と語ったそうだ。

1985年の初来日代々木オリンピック・プール公演、
1988年のアムネスティ・チャリティイベントでの東京ドーム公演。
Eストリート・バンドを日本で観られたのはこの2回のみ。
もう一度と、来日を期待していたのだが。

DVDで発売されたスプリングスティーンとEストリート・バンドの2009年のライブ、
『ロンドン・コーリング:ライヴ・イン・ハイド・パーク』。
クレモンズは膝と腰の故障を押しての出演だったらしいが、
気持ちよく夜空に響くサックスを鳴らしていた。
60才になったスプリングスティーンとEストリート・バンドは素晴らしかった。
まだまだ、これからだったのに悔しく残念だ。

今宵、クラレンス・クレモンズに感謝と哀悼の意を。

合掌

2011年6月17日金曜日

梅雨空のドアーズ


Doors 1970年リリース、5枚目のオリジナルアルバム『Morrison Hotel』。
1曲目を飾る「Roadhouse Blues 」の一節。

朝、目を覚ましてビールを一杯飲んだ
目を覚ましてひとりでビールを一杯飲んだんだ
未来は不確かで、終わりはいつも近い


東京は典型的な梅雨空。
雲が重く垂れ込め、閉塞感が加速する。
今日は朝から仕事を投げ出し、冷えたジョッキでビールを飲みたかった。
だけど、そうはいかない世界で生きている。

ジム・モリソンは朝のジョッキ生をやってたんだなって思う。
高校2年の夏にはまったドアーズ。
いまも昔もそんなジム・モリソンに憧れる。

17才で胸に刻んだ言葉は確かだった。
子供がいなくなった公園で放射能を測定するニュースを見て思う。
未来は不確かで、終わりはいつも近い。

2011年6月12日日曜日

ボブ・ディランは風を歌う



ブログのタイトルにした「Idiot Wind/愚かな風」は、
1975年発表のアルバム『血の轍』に収録された。
翌1976年発表のライブアルバム『激しい雨』にも収録。
ここではラフで混沌とした演奏から洪水のように
痛烈な皮肉、イマジネーション豊かな言葉が繰り出される。
これがロック。俺はロックの子。

ディランは愚かな風を歌い続ける。
非難するように、語りかけるように。
2010年のZep Tokyoツアーではレゲエアレンジで。

「愚かな風」
コートのボタンの隙間を吹き抜けていく。
俺たちが書いた手紙の間を吹き抜けていく。
棚に積った埃を舞い上げていく。
俺たちは愚かだった。
俺たちがいまも生きてるなんて驚きだね。

俺たちは2011年3月11日よりこちら側の世界に来てしまった。
有無を言わさず大きな転換期に飲み込まれた。
嵐からの隠れ場所は暴かれ、言葉を無くしてしまった。
これからの世界の表現はどうなるんだろう。
まずは、新しい言葉を探さねばならない。

セルフポートレイト


1973年リリース、ジャクソン・ブラウンの『For Everyman』から「Take It Easy」。

気楽にいこうぜ
自分の車のタイヤの音に気を取られないでさ
さあ、はぐらかずに こっちへおいでよ
おまえのやさしい愛が俺を救ってくれるはず
無理しないで 気楽にいこうぜ


セルフポートレイト

記念すべき4回目のブログ。
4回も続いたことに意義がある。
たいていのことは3回もやれば飽きてしまう性格だからね。

他人が書いたものを読む気はないし(読むべき本は枕元にたくさん積まれてる)。
自分で書く気もまったくなかった。
日記を書く習慣はないし、自慢できるようなことは何もない。
ひけらかすことは、おこがましいことさ、と謙虚さは持ち合わせてるつもり。
誰かに読んでもらおうなんて色気もさらさらない。

そう、先のGWに釣りバカの友人が河口湖上のボートに俺を拉致した。
GWに家にこもっている俺を不憫だと思ったのかは知らない。
ルアーをセットした釣り竿を持たせ、釣れという。
富士山が真正面に見える抜群のロケーション。
あくせく竿を投げるよりゴロンと寝転がって富士山を眺めていたい。
開高健の「オーパ!」は大好きだけど、ブラックバスなんか好きじゃない。
竿を振らずにタバコばかりふかしていると友人の機嫌が悪くなってきたので、
仕方なく俺は釣り竿を投げ始めた。

釣れなくていい。

針の付いていない釣り糸を垂れ下げているスナフキンも
こんな気持ちだったんだろう。
ところがシャカリキになってボートを移動し、竿を投げまくっている友人を
差しおいて俺の竿がしなり、40センチほどの見事なバスが釣れてしまった。
その日は、その一匹だけ。友人の釣果はゼロ。
釣れなくていいと思う俺が釣れて、釣ろうと躍起になってた友人は釣れない。
人生のようなもんだ。

ブログも書く気がなかった。

釣りと同じように読まれなくていい。
俺がやろうと思ってることは絵を描くこと。
このところ絵を描く気が起こらず、ただ力を奪われ呑気に世の中を眺めてた。
力を奪ったのは何だろう。
思いつくことは少なからずある。

読まれなくていいブログならWordにでも書けばいい。
世界は変わる。変わってしまった。
自分も変えていかなくてはならない。
少しでも世界にコミットしていこう。
そんな気持ちでこのブログを書き始めた。
もうしばらく書き続けていこうと思う。

こうして自問自答して、もしかして何か見えてきたとしたら、
見える兆しが感じられたら、それだけでいい。

Take it easy!

2011年6月11日土曜日

余波


Aftermath (UK)
1966年リリース。ローリングストーンズ初のオリジナル曲のみで構成されたアルバム。

『ベガーズ・バンケット』以降に連なる名作群を聴いてしまった後に、
後追いで聴いた俺には、このアルバムにはどうしても物足りなさを感じてしまう。
初期のブルースアルバムにポップテイストを塗した印象で、ポップを狙ったのなら
ビートルズの洗練されたポップがあるし、比べたらちょっと残念かな。
地味なところは、恐竜が闊歩するジュラ紀のほ乳類みたいでもある
(アンダー・マイ・サムはカッコイイけどね)。

正直(特にUK盤は)デッキに乗る回数も少なく、典型的なベンチ要員だった。
だが、『アフターマス』というタイトルは好きで、
アフターマスって曲を作ればよかったのにとよく思ったものだ。

ストーンズのアルバムには曲名を冠したものが少ない。
『Let It Bleed』『It's Only Rock 'N Roll』『Some Girls』など6枚だけだ。
他はすべてアルバムを象徴するタイトルがつけられている。
『Out Of Our Heads』『Beggars Banquet』『Sticky Fingers』『Black And Blue』『Voodoo Lounge』などなど。
タイトルの付け方がホント絶妙でカッコイイ。
このセンスはミックジャガーかな。

日本は大災害の渦中にある。
事故から3ヶ月、福島は進行中だ。
未だ空へ海への放射能の垂れ流しを止められない。
次々と明るみになる隠蔽されていた事実。
本当のアフターマス(余波)が押し寄せるのは、まだ何十年も先のことだと思う。


6月9日、ロックの日。
村上春樹はいつも新刊を楽しみにしてる作家のひとりだ。
これからの作品はどうなるのか、何を表現するのか、どう行動するのか、興味があった。

村上春樹がバルセロナでカタルーニャ国際賞を受賞し、
大震災に襲われた日本についてスピーチした。
その中で、日本人として、作家として、立ち位置を明らかにし、
これから日本を復興するために作家として負うこと、
やがて作られていくだろう新しい倫理や規範に新しい言葉を紡ぎ新しい物語をと、
その決意を表明していた。

いま、すべての表現者が試されている。

2011年6月7日火曜日

春を待つ手紙



季節は過ぎたけど、吉田拓郎の「春を待つ手紙」のこと。
1979年秋にシングルレコードとしてリリース。
B面は「外は白い雪の夜(ライブ)」。
作詞、作曲、編曲は吉田拓郎。
篠島オールナイトコンサートのアンサーソングで、
1979年のツアー、篠島のライブからなるライブアルバム『TAKURO TOUR 1979』の
キャンペーンソングでもあった。

オールナイトニッポンか、セイヤングだったか忘れたが、
その最終回の「拓郎が選ぶ、拓郎の歌ベスト10」というような企画で、
自身が「春を待つ手紙」が一番好きな曲だと言っていたのを覚えている。
発表されてから一度もライブでは歌われたことはない。

たぶん、きっと、拓郎がとても大切にしているだろうこの曲を、
今年ついに拓郎が歌った。
今年4月18日の「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLDスペシャル」、
震災チャリティ特番の中で。

俺はYouTubeにアップされたものを聴いたのだが、
60代半ばの拓郎の声はオリジナルと違って嗄れてはいたものの、
ギター1本で訥々と一言一言噛みしめるように歌う拓郎の声には説得力があり、
想いが伝わってきた。

かつてのライブの最中に拓郎がちらっと見せたあの表情、
苛立っているような、何かに抗っているような表情で
歌ったんだろうなと想像を巡らせた。
それは決意を決めたときの表情なんだと思う。

誰もが誰かを 恋しているんだね
それはあてのない 遥かな旅なんだね
旅する人には 人生の文字 似合うけど
人生だからこそ ひとりになるんだね
ここでも春を待つ人々に逢えるでしょう
泣きたい気持ちで 冬を越えてきた人